老人と海
老人と海はヘミングウェイの傑作とされるが、美しい自然、老境も長くなった男の懸命な戦いの記録、そして波乱。そのすべてが傑作と呼ぶに相応しい。ということなのだが、ちょっと待って欲しい。
作中に出てくる老人は、救いようもない「不運」を囲っていることになっている。しかし、そうではない。老人は漁になど出ていないし、ましてやカジキなどとっていない。そう断じるだけの要素が随所に散見される。たびたび出てくる老人のベッドと古新聞、そしてライオンの夢だ。冒頭から老人は寝ているだけだ。現実の少年との対話などもない。すべてが夢で妄想なのだ。
老人は努力もしないで(80日以上漁もせず)、自分はライオンだと思っているだけのバカでクズなのだ。現実の世界ではまるで役に立たないために世間から疎まれ、若さという武器も失ったこのクソジジは、自らを慰め、現実の間違いを正すため、夢を見るのだ。
だとすれば、自然、結末に出てくる骨は何の骨だったのかという話になってくる。
“Tiburon,” the waiter said. “Shark.”
「ティブロン……いえ、サメの」と召使いがいった。
He was meaning to explain what had happened.
彼は何が起こったか説明しようとした。
この一文は、どこかのお嬢様が大きな尾を持つ死骸を見て、「あれは?」と問うた場面だが、それに対し、彼にあたる召使いが「あれはサメにカジキが食べられた残骸ですよ」と答えた。と解すべきなのだろうか。さらにこう続く。
“I didn’t know sharks had such handsome, beautifully formed tails.”
「知らなかったわ。サメの尾があんなにきれいだなんて」
“I didn’t either,” her male companion said.
「俺もだ」彼女の連れの男性がいった。
これをどう捉えるべきか。サメではなく、カジキの尾なのに、キューバの海を何も知らないバカな観光客を笑う落としどころなのか。それとも、随伴の男までサメだと思っていることや、一応英語が話せる召使い(旅行先のガイド?)が訂正しないところをみると、彼が説明しようとしたのは「サメの死骸です」だったと考えられはしまいか。そうなれば、老人はやはり漁になど出ていないし、何の成果も挙げてはいない。徹頭徹尾のクズなのだ。
と、読書感想文で書いたら再提出を食らった。義務教育などそんなもんだ。人生の悲哀とはこういうものだ。老人同様にモリモリマッチョな反骨精神で文学と格闘し、やっと岸辺にたどり着いた少年の作文は、教師というサメにズタズタにされてしまった。
老人と海、そしてなろう系小説
最近のなろう系と呼ばれる異世界に転生すれば俺最強といった作品の走りがここにあると思う。ただ、ヘミングウェイの手にかかれば、そんな味気ないものにはならなかったというだけだ。老人と海は刺身の3点盛り合わせなのだ。美しい自然の描写、これが誰もが感動するマグロ。不遇を囲う主人公の悲哀、これはタイあたりだろうか。そして男の戦い(夢オチ)、これが滋味あふれるイカ。
なろう系は、ここからイカだけ持ってきた作品だ。夢の中でなんでもできちゃう無敵の俺様。それがなろう系なのだろう。売れて当然なのだ。盛り合わせから、一品、失敬してきたのだから。人気がないはずがない。しかし、老人と海をそんな視点で見る者はいない。冴えない主人公の妄想サクセスストーリーとは思わないわけだ。そこにヘミングウェイのイカれ具合と美味さがある、のかもしれない。
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