活字離れについて

雑記

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活字離れが起きているといまだに語られますけれども、読書はクラスに1人か2人くらいの特殊性癖以下の趣味だということがわからない人たちによって生み出された幻想です。本を読むことが偉いことだと思い込みたい連中の狂信でもあります。

 

日本人の半数が一冊の本を読めば、6000万部売れます。当然そんなことは起こりません。どんなに売れても数百万部が限度。日本人なら読んでいて当然のように語られる作品ですら、数百万なのですから、本を読む人間なんてものは20人に1人程度だということがわかると思います。

 

本に近いものとして新聞があります。新聞ほど発行部数の怪しいものもないのですが、人口が下位の県ですら、毎日20万部ほど出ています。本で20万売れたら大したものです。相当数の本が3000、5000冊売れずに消えていくなかで、20万は大ヒット。これだけ売れれば作家が5年は生きていけるくらいの稼ぎになります。

 

私は編集者以外にも何足もわらじを履いているのですが、広告デザイナーとして仕事をしていると、「こことこの地域に広告を入れればいいから大体10万枚だな」などと計算することがある。そのたび、本はなんてちっぽけな市場なんだと思いはしますが、特段悲しくもありません。先にも述べましたとおり、本を読む輩なんて「特殊性癖以下」なのですから。

 

ファンの方には申し訳ありませんが、連日耳にする又吉氏の著作『火花』を私は読んでおりません。240万部ほど出ているようですが、年に500冊本を買う私が買ってない。本を読む行為自体が変態レベルなのに、そのなかにも趣向がある。つまり読書家というものはドレッドノート級の変態、ドヘンタイなのです。

 

本は年に8万点刊行されますから、500冊買っても誤差も誤差で、とても本の世界を語る立場になどありません。本を読んだからって偉いものでもなんでもなく、致命的な変態だということが浮き彫りになるだけ。活字離れなど起きていないのです。起きているのは読書家の浮世離れくらいです。

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