読まれたページに応じた印税システム

雑記

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電子書籍では、読まれたページに応じた印税を支払うというシステムを導入するというニュースを見た。これに対して、作家の一部からは「ページ数を稼ぐための作品が出てくるのでは」という指摘がある。つまり、センセーショナルでくだらなく、ビッグデータとやらにがんじがらめになった今のテレビ業界のソレのような末路をたどり、出版の文化たる部分がますます消し飛んでいくのでは、ということだ。

これは旧態依然とした作家たちが、今、顧客が求めている作品を描けないからいっているのだと解することもできる。一方で、なんでもかんでも時流に乗ったもの、あっちでウケたからと二番煎じ、三番煎じのいわゆるドジョウ本がわんさとランキングを席巻。真っ当な作品が見向きもされなくなるのでは、という懸念もわかる。もっとも、ドジョウ本などという言葉があることが示している通り、すでにそんな本で埋め尽くされているわけで、私自身、K伊国屋あたりの売上数を見て当たり外れを判断。ドジョウ本っぽいものを作れと上に指示されたこともあるので、乾いた笑いしかでないが。

 

さて、こういった粗製乱造となるのではという指摘に対して、電子書籍を運営する機械屋ども(私は紙の本の編集とともに電子書籍黎明期に電子書籍立ち上げにも加わっていたので少々わかる)は、「そのような指摘を踏まえたうえで、作家が自身の作品がどう読まれているかを知り、作品にフィードバックできる(という利点がある)」というわけです。

 

こいつらは話を聞いていたのだろうか。本を売っているのに、読解力が足りないのではないか。いやいや、連中、大して(大した)本を読まねえし当然か。作品を売るための手法が確立され、世間にあまりにも迎合し、金太郎飴のようなものだらけになって、文学性や神秘性といったものが失われ、経済動物ならぬ経済商品に成り下がるのではないかといっているわけである。もう成り下がっているという指摘もあるが、さらにそうなるんじゃねえかという指摘なのよ。おわかり?

 

これは機械屋が出版業界に食い込もうとしてきたことからわかっていたこと。あいつら本を読まねえし、含蓄ない話ばかりしやがる。って機械屋の本マニアと語らって、神保町でカレー食って、秋葉原でラーメン食って、肩組んで帰ったんだけどね。人によりますわな。

 

しかしまあ、本は最後までどうせ読まれないから印税ケチれるぜってところが実にコスい商売だなとも思うわけで、キャベツの芯は要らないから、可食部だけ量り売ってくれってその手法も含め、どうにも受け入れ難いんですよね。これは。別業界からコラボしにきているのであれば、もっとこう、大上段に構えた革新的な商売を思いつけって話ですよ。まったく。

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