スーパー編集長のシステム小説術
スーパー編集長とはなんだろうか。私も電子書籍の出版部を立ち上げの際、プロジェクトリーダー、つまりは当該部署長、つまりは編集長になった(外部顧問がいましたが)。今後どうなるやらわからない怪しい世界の木っ端担当とはいえ、20代前半でなったのだから、左遷というより昇進だったろうと思っている。編集長などという肩書きは、こんなもんだということ。自分でスーパーという名を冠しているあたりに「マズい」人間の本だということはプンプンしていたが、小説はシステムで書けるというので手に取った。
出版元は悪名高きポプラ社
ああ、やっぱりポプラ社かといった具合である。2000万円の文学賞を、自社から出す某有名人の著作に授けて、宣伝費をケチった会社である。ウスラバカだか、薄ら馬鹿下郎だかという本のアレといえば、「あったあった」と思い出してもらえると思う。著者が賞金の受け取りを拒否したのも実に上手い。受賞は拒否しないのだから、はじめからそういうルールだったのだろう。2010年に2000万とぶちあげておいて、翌年にはこの賞を廃し、賞金200万円の賞を新設している。既定路線すぎて乾いた笑いも漏れない。
このようなズッコケを(大好きだったのに)やらかしたポプラ社は、社の根幹を支えるキツネとイノシシが代表するように狡猾で、思い込んだら猛進するのだろう。前置きが長くなってしまったので徐々に軌道修正するが、本書が出版されたのは2009年4月。かの文学賞の発表の1年前。2010年の大賞はそれまで2〜3月が締め切りだったのに、6月末までとなっていて作為を感じずにはいられない。本書は257ページで、ポプラ社の文学大賞を激賞。作家を挟まず、編集者だけで文学賞を決め、2000万円も出すのだからすばらしい!といった具合で。つまりは、社内の会議で決まったということ。
著者はおそらく60代で後半で、この出版不況をつくった最悪の世代の成れの果て。本を出す以上、売れるものがいい。どれほど傑作でも、売れなければ出版社としては意義はない。だからといって、それがマーケティングで売り込むエンターテインメント小説を礼賛する理由にはならない。私は書籍編集として、文学のお高くとまった感がどうにも好かなかったが、それは個人の感性の問題だと脇に置いていた。しかし、一等好かないのは、文学とお高くとまりながら、売らんかなな商売をして悪びれるそぶりも見せない連中だ。こういった売るための戦略は劇薬で、10年保てばいい方。必ず反動が出る。その間に逃げ切った連中が大学教授でございと小説を語るにいたっては、もはや我慢ならぬといったところなのだ。
著作の内容について
もはや細々と書くまでもないが、校條剛氏自身は小説家でもなんでもない。その方法を肩書きを使って教えているだけの人物だ。そして、その教室にたくさん人が集まっているから、俺はすごいのだ、正しいのだという。悪徳ネットワークビ◯ネスのセミナーだってたくさん人が集まるが、正しいのか。これについて私がいいたいのはこれだけだ。
小説の書き方を教えるといいながら、実態は私が収蔵している文章読本棚に並ぶ本から引用という名のつまみ食いをしているだけ。なかには気に入らない作家の書き方論にケチをつけるために引用しているものもある。小説など自由に書けばいいのだ。作為なく当たったものが正しいに決まってる。そこに小説を前例をパクって組み合わせるようなシステムで書くか、自由に書くかなどどうでもいい話だと私は思う。おもしろいものがいいのだ。
しかし、最後まで自身のよくわからない文学観で、小説風に同じことを話し続けるのには参った。やはり文芸の人間だと思う。学術や実用、ビジネス書をやっていた人間からすると、いちいち「長ぇ〜よ」と合いの手を入れてしまう。そこが文芸のよさなのだが、実用書には不要だろう。
小説を書くにはどうすればいいか
私は文芸畑の人間ではないが、小説の書き方について簡単に述べることができる。
- わからなくてもとにかく最後まで書く
- 色んな人に読んでもらう
- 直せるところは直し、直したくないなら直さない
これの繰り返し。プロでもないのに語るなといわれるような気もするが、素人だからこそなのだ。プロに読んでもらってもあたる小説にはならない。一般人が買い、読んでもらって、はじめてあたりだといえる。出版にあたっての門番が編集者だが、この編集者には文芸風に吹かれて酔っている連中が相当いる。この酔っ払いに見せたところで、まともな反応が得られるはずがない。素人ウケする作品こそが至上。プロに人気が出ても貰えるのは文学賞くらいで、賞をもらったってその後食えるかどうかはわからず、大概まともな暮らしはできやしない。
うれしそうに学校とやらに通ってどうなる。各々才気に程度の違いはあれ、努力によって磨かねばならぬのは共通だ。こんな名刺本に引っ掛けられたり、妙な文学賞にふらふらと吸い寄せられる暇があれば、まずは書く。そして、読んでもらえるような知り合いを確保するべきだ。なにより、小説家を本気で志しているならば、すでに書きはじめているはずだ。本気ではない、覚悟もない連中を体よく食い物にするスーパー編集長とやら、どこがスーパーなのかわかったもんじゃない。
【蛇足】
自身の薫陶がいかに正しいかという意味で、新潮の文学賞に生徒が通ったなどと書いてあるが、あんたは新潮OBかつ、その文学賞の立ち上げに参加しているだろう。どこまでも手前味噌で、内情を知らないアンポンタンを貪りたくて仕方ないのだろう。引っかかる方も引っかかる方だが、こういうことを書いて何も感じないのが文芸の世界なのか。
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