運のいい人の法則 #009
THE LUCK FACTOR と原著にあるが、これが本当だったとしたら、日本と欧米では運に関する考え方が違うのではないか。本書のいわんとしていることは、単純化するとこういうことになる。
「ポジティブな人が得をする」
データ不足、仮説のあいまいさ、科学的根拠に乏しく、私個人はこれをもって運を科学的に研究しているとはまったく思わない。ただし、自分は運がない。幸運な人生を手に入れたいと考えている人への自己啓発書としてはいいだろうと思う。何かを変えることでしか、人生は変わらない。
以下は本書への批判となる。前述の自己啓発として本書の購入を検討されている方は読まないことを勧めたい。
銃で撃たれてケガをしたのは幸運か、不運かという問いに、運がいい傾向にある人は幸運だと答えるという。そう答えないのは不運な人間だと「決めつけ」ているのが問題だ。そもそも銃に撃たれないのが幸運であって、そんな場所に出くわさないのが最上だ。こんな実験で幸運か不運かを判断するのは人間の脳を舐めているとしかいいようがない。個々人が幸運、不運を判断するポイントはそれぞれに違う。宝くじに当たれば幸運だというのは間違いないが、買わずに済んだことで「無駄にお金を使わなかったから幸運だ」と思う人もいるかもしれない。ポジティブかネガティブかだけで幸運、不運を割り出すのは危険だ。ネットスラングでいうところの「お花畑」がもてはやされる結果になる。脳にブレーキのないおバカさんが幸せを勝ち取ることは確かにあるが、大抵は悲惨な結果になることを我々は経験的に知っている。安易にお花畑礼賛とはいかないはずだ。
私は何度も大病を患っているが、その都度生き残っている。呼吸器が止まったり、激痛で失神したり、様々ある。しかし、生きているから運がいいとは思う。ただ、それは臨死体験をするような危篤状態を味わったから思うことであって、これだけは断言できる。大病なんてしないで済む人間が一番幸運だと。
じゃあ、自分は不運な人間なのかといえば、まるで当たらない。ネガティブで慎重な考え方だが、こと運に関しては激烈にいい。ギャンブルはあまり好かないが、付き合いでやった競馬は簡単に当たるし、パチンコやスロットが1回転目から当たることが数度あった。普段は一歩たりとも賭場には入らないから、その確率は尋常ではないと思う。
幸運、不運はポジティブ、ネガティブに関わらず、その人がやるべきことをしているかの一点に尽きるのではないか。宝くじは買わないと当たらないからと、身が破滅するまで買う人は幸運といえるか。前向きに行動すれば、必ず成功するかのような物言いは、ギャンブル依存症を生むだけだ。人生の転機にあって目標に向かって努力し、または履歴書を送るといった最低限やるべきことをこなしていれば、数打てば当たるだろうし、勤勉に生きれば当たる確率もあがる。そういった努力と成功体験の繰り返しで培われた人工的な幸運体質しか世界は認めないようにできている。
雷雲が近づいているから安全な場所に避難しようと考えることは人工的な努力だ。雷雲が近づいているが、前向きに生きていれば雷には打たれない。というのは、仮に打たれなくても幸運とはいいがたい。たまたま「運悪く」不運に見舞われなかっただけのことだ。
幸運も不運も、そこまでスピリチュアルな話ではない。どうしようもないこともあるが、操作できる範囲がある。結局、なんらかの努力しなければ運は拓けない。努力をしたうえで、筋金入りのネガティブ思考の人間くらいしか本を読んだくらいで運に恵まれたりはしないということだ。ましてや、筋金入りのネガティブ思考は努力しても無駄だといいはじめるし、そういう人間ほど楽して(本を読むくらいの努力で)幸運を手に入れたいと考えているのだから、本書が役に立つ人間がどれくらいいるのか甚だ疑問ではある。
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運のいい人の法則 [ リチャード・ワイズマン ] |
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