学問のすヽめ #003
『学問のすヽめ』(福沢諭吉/岩波書店)
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」
『学問ノスヽメ』に出てくる有名な一節です。慶応義塾大学の学生なら、ラテン語で掘ってある物から日本語のものまで、嫌と言うほど見ているはずです。この言葉を明治日本近代国家への一歩として捉え、平等主義の主張として捉えている人間がいかに多いことか。せっかくですので今回はこの勘違いについて書いてみることにします。
さて、そもそも上記の文言は福澤の言葉ではないのです。この事実を知っている人は、日本人の3割に満たないと思います。元々この言葉は、アメリカ合衆国独立宣言の中にあったもので、弾圧を跳ね返し、人としての権利と主権を主張する自由と平等宣言でした。
福澤先生はこの言葉を引用したのです。引用するということは、もっともだと同意するか、それは違うと反論するかのどちらかなわけでありまして、福澤はこの一文に疑問を投げかけたわけです。
「『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず』と言えり」
これが福澤先生の主張でした。つまり、「上下の区別は人にはない。といいはするけれども…」 というのが福澤先生の本来いわんとしていることなのです。現代日本人は「言えり」と福澤先生がいったことをまず知りませんから、『学問のすヽめ』は平等、ヒューマニズム、デモクラシーなどと結び付ける、なにやらよくわからないけど、輝かしい未来を描いた著作だと思い込んでいます。ところが、福澤はこれとは真逆の主張をするのですね。それが次の一文です。
「されども今広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや」
人に上下の区別はないとはいうものの、世界を見渡してみれば頭の良い人、悪い人、金持ち、貧乏人、身分の高い人(華族や奉公人を沢山抱える人)もいれば、奉公人(奴隷)もある。この大きな差はどうして生まれるのだろうか。
これが福澤先生の問いで、これに対して自身が答えます。その答えが「学問」なのです。貴人だ下人だと、とても人権派の人間が吐く言葉ではありません。当然のことです。福澤先生は、沢山勉強すると人の上に立ち、しないものは人の下で苦杯をなめる。辛い思いをしたくなければ勉強しろ。そんなスパルタママな主張をなされたわけです。 だからこそ『学問のすヽめ』なのです。
学問をすすめているのに、平等主義を唱える方が矛盾です。ところが今の日本人は、その矛盾に気付いていない。勉強すればしない人より賢くなって格差が生まれる。格差は平等とは正反対のものです。学問をすすめる福澤先生はそんな頓珍漢な矛盾をはらんだ主張をするわけがないのです。もっとも、当時の学問と今の学問は完全に意味が一致するわけではありませんが。
一万円札で定期的にご尊顔を拝す福澤諭吉先生の主張を捻じ曲げ、知っている気でいることほど恥ずべきことはありません。日本の最大紙幣は格差肯定者の広告でもあるわけです。
ですから、あの紙キレは金持ちのところに行きたがるわけですなァ。
『わたしのせれくしょん』
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