日経新聞の真実 #004
『日経新聞の真実 なぜ御用メディアと言われるのか』(田村秀男/光文社新書)
本書の著者の田村秀男氏は、元日経新聞のワシントン特派員。氏の感じてきた日経新聞および新聞業界と経済官僚との悪しき関係と、官僚の経済認識のお粗末さ、ジャーナリズムの限界についてまとめてられたのがこの著作。
ジャーナリストといえるほど仕事をしたことはありませんが、私にはよくよくわかることです。日本のジャーナリズムとは、木っ端記者が奮闘してスクープをとる環境にはないのです。記者はサラリーマンであり、酷使される会社の歯車でしかない。入社5年目まではプレスリリースを所定の方法で記事にする「文字埋め担当」で、それ以降は出世コースから外れないように先方(官僚や企業役員)の発言をよく聞き、都合よくまとめるのが仕事になるのです。
当然、新聞に正義を求める皆さんにとって許されざる所業。姦臣(かんしん)死すべしといったところではないかと思います。ですが、私は書く側もプレスリリースをする側も担当していたのでよくわかるんですね。この辺の薄汚い事情が。何が薄汚いかといえば、「ご説明にあがる」わけです。記者がではありませんよ。官僚や先方の担当者が、何をかといえば自分たちの言い分を「ご説明にあがります」といってくるんですよ。当然、説明や対談ではなく、実態は「脅し」です。「逆らったらわかってんだろうな」 といいにくるんですね。
スクープなどというものはそもそも、ズブズブの関係になった記者に、スクープのネタをやるからいい具合に記事にしてよと渡されて出てくるもので、モーレツ記者が正義の心で戦って勝ち取るものではありません。新聞社の広告収入は利益の約半分。記事なんてものは、広告を稼ぐための撒き餌でしかなく、新聞を販売、配送する業務は仕方なくやっているだけにすぎません。機械的に利益のみを見据えて動く世界に、社会正義は入り込む余地もないのです。
そして、一般紙とは異なる経済紙である日経ほどプレスリリースに適した広告媒体もない。経済新聞ということで、きっと中立だろうと信じられている。朝日や産経、読売といった、社説を読めばどちら巻きか判断できる思想信条を掲げた新聞とは違い、さも良心であ
り、誠実であり、日本経済のための新聞であるかのように振る舞っている。その信頼度たるや未だ健在で、多くの企業が参考にしている。だからこそ、広告を出す企業や記者(キャップや部長クラス)の好みによって、日本経済をいじくりまわせるわけで、これを利用しない手は広告屋としては「ない」のです。
ドコモがiPhoneを出すぞ(記事執筆時はまるででる気配もありませんでした)、任天堂はもうすぐ新ハードを出すから買うな(同上)、HONDAがハイブリッドカー事業に消極的だ(同)、Kindleがもうすぐ国内で出るぞ!(同)等、「飛ばし記事」が散見されるようになりました。これは簡単な話で、最新技術の担当者になるのは、若くてケツの青い記者なのです。そこに近づいてくるのは、敵対企業の息のかかった連中。誤報が出ることで利益になる企業がそういった情報を流すことはよくある話で、泡食った新人記者は「すわ、スクープだ」とやらかしてしまう。もしくは、意図的に日経がやっている。実際に、任天堂関連では酷いもので、明らかに悪意あるタブロイド紙以下の風説を平然と流しているわけでして、もはや経済紙としての体をなしていない。手前勝手に経済をいじくる紙というならそうなのかもしれませんがね。
野球なら選手へ、相撲なら力士へ、政治なら政治家へ、社会なら市井へネタを探しに行けばいい。じゃあ、経済記者はどこへ取材に行けばいいのか。欠陥だらけの経済紙、矛盾だらけの経済記者。御用聞きメディアと呼ばれる彼らはどこへ向かうのか、我が身のことでもあったため、最後まで苦虫を噛み潰したような気分が続きました。新聞への批判という形でお読みいただくより、記者の限界と新たな仕組みづくりはできないものかという建設的な視点で読みたい一冊です。
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