SAVE FIELDs

誰にでもできる環境保護でなくては意味がない

水系保護は立派なことでは「全然」ないです

 

水系の保護活動や、環境美化、水と関わりがあるからと山道のゴミ拾いなども小さく小さく行ってまいりましたが、こういう話をすると「立派ですね」といわれます。その言葉が本心からきたものか、面倒くせぇ奴だと思ってあしらったかどうかはこの際置いておいて、私はこういった活動を全然立派だと思いません。いいことをしているという実感もありません。まあ、実際にはちょっとあります。自分の健康のためにはいいです。強制的に歩くので。ゴミを拾ったり、魚の種類を観察したり、水路に草木が詰まっていたら掻き出したりしている間は余計なことも考えないので、そういう点ではいいことをしています。

 

でも、社会的に立派だとか、お前たちより優れているんだ〜みたいなことは思いません。小学生のころ、生徒会でそういう活動をはじめたときは偉いんだぞと思っていましたが、やればやるほど、自分が偉いなんて思えなくなったわけです。なぜって、それは協力してくれる人がいてはじめて、できることだからです。

 

私の活動に賛同して、本業の広告出版業の掲載料にイロをつけ、「これで活動してください」なんていってくださる人がいます。そういった直接関わらなくても、金銭的に支えてくれるかたがいるからこそ、水系保護などということができているのです。

 

つまり、なにがいいたいかというと、環境保護を行う私が立てた手柄というものがあるならば、それはすべて、私を支えてくださっている方の手柄なのです。究極的には、私はなにもしていないのです。だから、私が偉いなどということは「断じて」ないわけです。

 

立派な人しかできない活動は意味を持たない

 

私は立派な人物、高尚な思想、確固たる意志を持った人間にしかできない保護活動は意味がないと思っています。なぜなら、そういった活動は社会に浸透しないからです。100人いて、4、5人しかできないようなことはプロスポーツやショービジネスなどとしては成立しても、社会全体の活動としては成立しません。ということは、社会はまるでよくならないということです。

 

欧米の保護活動のなかにはすごくハードルが低く設定されていて、誰でも気軽に参加できるものがたくさんあります。また、そのハードルを様々な事情で越えられない人はお金で参加するといったことも認められています。このほかにも、イベントで収益をあげてそれを活動資金にすることが批判されにくい土壌があります(もちろん全員が全員、批判しないわけではありませんが)。日本では、ボランティアやチャリティーイベント、製品開発をすると、必ずといっていいほど、そんなことをする時間と金があるなら、なにもしないで活動資金にしろという批判が飛んできます。このブログにもいくつかそのようなコメントをいただきました。でも、こういったイベントや製品の意義を間違って理解してものが多いと感じます。

 

どう間違っているかというと、このようなイベントや製品のためにお金や時間を使うのは、ひとつは周知のため。もうひとつはそこに参加して純粋に楽しんだり、製品を買うだけで活動に参加したことになるという、ハードルを下げるためなんです。言葉は悪いですが「免罪符の販売」のためともいえるでしょう。こういったものを許す風潮と仕組みが海外にはあるようです。誰もが簡単に参加でき、実践できるから、保護活動が継続してまわっていくんですね。一部の意識がすこぶる高い人たちが自分のブランディングのために特権的に行うような活動は、その人たちの利益にこそなれ社会全体の利益にはなりにくいものです。

 

なんとなく日本の保護活動や寄付に対して違和感や不気味さを感じるのは、こういうところなのではないかと思うのです。寄付しろといわれても、環境を守れといわれても、セルフブランディングに必死な「正義の人」に見下されている感じがして、嫌な気分になるんですよね。お金を出すにしても嫌だし、しなかったら責め立てられるようで嫌なんですね。だから、そんな「高尚な」保護活動はあってはならないと思いますし、ハードルは低く、とにかくこれどもかというほどに低くしないといけないと思っています。『善悪なき環境保護』という著作を出版しようとしたのも、原理原則的で、強引な方法では社会全体で環境を保護するところまで行き着かないと思ったからなんです。

 

誰もができる環境保護とは

 

まずはじめに。いきなり環境保護のために休日返上でなにかをする。というところを目指さないでください。それは本格的にやっている人だけで十分です。気分が乗ってきて、もっと関わりたいと思ってからでも全然遅くありません。また、気分が乗らないときはやらないのでもいいでしょう。それを責める風潮もやめていかなければなりません。町内会でゴミ拾い、やらない奴は悪くいう……みたいなのも含めて。ゴミ拾いはお金を出して業者にお願いしたっていいわけです。綺麗になることには変わりはないんですから。自己犠牲を払った者が偉く、そうじゃない奴は村八分にしてもいいなんて考えは持ってはいけません。タダ乗りはいけませんが、直接的に関わる人が少なくても、もしくはいなくても、継続して環境が守られる仕組みがあることが大切なのであって、やらない人間を罰することや、自分は正義の人間だと偉ぶることは本来の目的ではないはずです。

 

日本人はチャリティーイベントが下手です。といいますのも、募金前提でやるからです。音楽活動やスポーツイベントの中にはチャリティーを謳いながら、本当に心から音楽を楽しんだり、スポーツを満喫したりというものがありますが、多くのチャリティーイベントはどこかハメを外してはいけないようなドンヨリした空気といいますか、意識の高い空気が垂れ込めたものが多いようです。「ようこそおいでくださいました。募金をお願いします」「いらっしゃいませ。ゴミを拾ってください」なんてイベントに、一体誰が足を運ぶでしょうか。これまた、一部の意識の高い人がセルフブランディングのためにくるだけではないでしょうか。やっぱり、これではダメなんです。

 

なんかすごくおもしろそうで、それに参加して、時間と体力とお金(!)を使って楽しんだ結果、保護活動に繋がっていたというのがベストです。1におもしろさ、2にチャリティーの順です。これはまちがってはいけません。チャリティーイベントは高尚で、お行儀よくしないといけないというのは間違いだと思っています。

 

繰り返しになりますが、私はなにひとつ偉くないですし、私の手柄は100%支援していただいているみなさん、このサイトを読んでくださるみなさんのものです。その点はこれからも変わることはないものと思っています。

本日もブログをお読みいただきましてありがとうございます。

水系保護のチャリティーとして、私の両面サイン入り雑巾(またはサイトの名前入りスポーツタオル)とか売ってやろうかと思ってます。釣りの際にはなんだかんだで要りますもんね。雑巾や手ぬぐい、タオルって。出版よりこちらのほうがスピード感があっていいのかもしれません。私のことが憎いというかたもぜひお買い求めください。床に擦り付け倒していただければと思います。環境と住まいの美化とをかけているわけですが、いかがでしょう?

 

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コメント

    • 匿名
    • 2018年 9月 26日

    まず楽しめて、次にチャリティって考えは賛成。
    そうじゃないと人も集まらないし、宣伝効果もないし、結局お金も集まんないしね。

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