SAVE FIELDs

水系の保護と外来生物

【お願いと概要】

こちらの記事をもとにした出版企画

『善悪なき環境保護のために 〜やつらもみんな生きている〜(仮称)』

がありましたが、「水を抜く」何某が大変人気となり、明確に在来種を善、外来種を悪としない考え方は受け入れられない、出版社に苦情が寄せられる可能性があるといわれ、企画が頓挫してしまいました。復活の予定はないとのことですので、改めて企画を作り直していける出版先様を探しています。

 

単純な正義感で水を抜いてしまえば、その水系の生物、植物は在来種も含めて減少・死滅してしまいます。そこに人間が新たに「善のイメージを抱いている生物」を増やしたら、一度壊れたものをさらに壊す「二重の環境破壊」になってしまいます。また、水を抜く行為は、その水系だけでなくその場所で餌を取っている生物、子孫を残してきた昆虫なども幅広く「割りを食う」わけです。外来種の強引な処分こそが環境保全において最善の道で、絶対の正義だと考えるのは、わかりやすさの罠といいますか、いささか単純化が過ぎるのではないかというのが私の考えです。

 

一方で、上記の「二重の破壊」のような好ましくない環境保護や、在来種ではない動物や植物が好きな人を頭ごなしに否定したいとも思っておりません。自然が人工物も自然物も飲み込みながら最適解を導いていくように、人間の世界でも清濁飲み込んだゆるやかな管理と保護が、正解がすぐには見つからない環境問題への「最適解」になると考えるからです(こういう部分がわかりにくく、在来種は善、外来種は悪といった白黒をつけないと出版元のリスクになると頓挫してしまったのですが……)。

 

今回どうしても出版を諦めきれないのは、これ以上、善悪の単純な線引きで人間が二重、三重に環境破壊を起こすことを見過ごせないと感じているためです。ですので、この本については私個人の出版による収益を考えておりません(出版社様の利潤追求をさまたげるものではございません)。テーマとして大ヒットするような内容でないことは理解していますし、内容的に出版社様としてのリスクも承知しています。

 

ですから、一冊でも多く安価に皆様の手に届けるためにも、印税は最小限の1%(もしくはゼロ)としたいと考えております。そして、その印税もすべて水系の環境保護(水を抜くなどではない形)にあてさせていただこうと思っています。1冊売れれば10円程度で、仮に1万部売れても10万円にしかなりませんが(1万部売れたらすごいことです)、このような個人的な想いに共感いただける出版社様、個人様の心意気に私自身、全霊で応えたいので、収益の全額寄付を検討しているところです(私がお金を受け取ってしまうと、税金がかかって環境保護に充てるぶんが40%近く減るので、私を介さず全額寄付したいという事情もあります)。

 

共感いただける方は、ツイッターやフェイスブック、HP等でご拡散いただければ幸いです。それだけで十分、私の水系保護活動への心強い応援になります。また、編集者のかたや出版社へお心当たりのあるかたは「ツイッター」または、こちらのメールアドレス「fishingwell*luregame.net(*を@に)」までご連絡ください。

以上、拙い内容ではございますが、どうぞよろしくお願いいたします。

2018年9月10日 大路 千狸

 

はじめに

 

水系の生態系が破壊されたと語られると、必ずといっていいほど槍玉に挙げられるのが「ブラックバス」です。ほかの魚を食べてしまうフィッシュイーターの特定外来生物ですから、当然生態系を破壊しているわけで、その点については異論はございません。しかし、私はこのブラックバスがすべての悪の元凶であり、これさえ取り除けば水系が元に戻ると考えるのは、あまりに浅薄ではないかと思うのです。

 

外来魚はほかにもいる

 

ブラックバス以外の外来魚「鯉」

 

ブラックバスはその顔つきがいかにも生態系の破壊者という風体で、痛めつけることで自分の中の正義感が満たされる人も多いようです。しかし、生き物の命を奪うという行為自体、褒められるべきではない「殺生」で、ほかの種を根絶やしにするかもしれないから一律で殺してもいいなどということはないはずです。私の個人的な心情でしかありませんが、一律の駆除前提の生態系保護を謳う個人や団体に、環境保護の正義や理性を語って欲しくはありません。こういった環境保護自体が、どこまで行っても人のエゴであり、エゴで破壊されたものをエゴで治そうとしているにすぎません。そこに人格的、行動的優劣などつけようもないはずです。

 

さて、ブラックバスは北米からやってきた外来種ですが、外来種はほかにもいくらでもいます。皆さんがよく見るコイは大陸系のコイばかりで、日本固有のノゴイはついぞ見かけなくなりました。古い時代のコイの絵などには、丸顔のとぼけたものが多いのですが、これがノゴイです。かつてシーボルト博士がコイとノゴイは別種だと発表したものの認められなかったという経緯があるのですが、琵琶湖のコイヘルペスで大量死したのがノゴイと思われる特徴を持っているものばかりだったため、近年ではこれらは別種であるという考え方が広まっているようです。つまり、現在みなさんが思い描くコイは日本固有の種ではない、いわゆる大陸系のチャイニーズカープだといえそうです。この外来性のコイは極めて強い雑食性で、水生植物に甲殻類、果てはほかの魚の卵も食べてしまううえ、日本のコイやフナとの交雑を起こすといわれます。にもかかわらず、何の知識もない人たちが、日本の生態系を守れとブラックバスを殺し、大陸系のコイを放す。結果どうなるかといえば、その水系に大陸系のコイしかいなくなるわけです。

 

ヘラブナはほぼすべて外来種

 

コイ類といえばヘラブナもそうです。ヘラブナは人の手が入った魚です。琵琶湖でつくられた魚ともいわれますから、ほかの水系には元々いなかったのです。これもほかの水系に持ち込めば、当然外来種。その水系の生態系を乱します。このほか、ソウギョのような用水路に生える藻を食べてくれるからと安易に超大型化する魚を放流し、文字通り(水)草一本も生えない水中の砂漠化を引き起こした水系も数え上げれば枚挙に暇がありません。水草がなければ生きられない生物、種を残せない生物は無数に存在し、水草自体が水系の維持に資するところ大なわけですから、これがなくなれば当然その水系は死に絶えます。ソウギョが増え、ソウギョすら消え、魚の気配がなくなった水系は意外にも身近にあるものです。そこに残飯やイトミミズ、ボウフラを食べて生きられる大陸系のコイ、なかには金魚や錦鯉を離して自然を守るという活動もあるようで、ここまで正義というのは無知と無配慮のもとに暴走できるのかと思う次第です。

 

鮎だって、ワカサギだって外来種です

 

 

美味しいですよね、鮎。私は鮎もワカサギも小さいものをてんぷらにするのが好きです。

驚かれるかもしれませんが、鮎だって外来種なんですよ。だって、どこかで養殖で増やしたものを川に放しているじゃないですか。つまり、日本の在来種ではあっても「域外外来種」なんです。何気なく使ってしまいがちですが、国という考え方や範囲は時代で変わりますから、日本固有種という単語自体が矛盾をはらんでいたりします。戦国時代はそれぞれ別の国でしたし、第二次世界大戦のころは、台湾だって満州だって日本です。じゃあ、中国大陸の魚を日本に持ってくるのは……? きっと違和感を抱かれることと思います。日本という国の範囲は広がったり、狭まったりするんです。あまり意識しないかもしれませんけれども。ということは、その水系に元々いなかった魚種、生物、植物を持ち込むことは、たとえすぐそばの地域のものであったとしても、外来種なのです。「日本固有種」「在来種」という語感に騙され(?)てはいけません。

 

また、鮎やワカサギの資源管理をしているのは環境保護団体や個人というより、多くの場合で漁協です。漁協は環境保護を受け持つ反面、厳密にいえば環境も破壊しているわけです。琵琶湖などの大型養殖場で効率よく生産した稚魚を買い、それを地元の川に放す。これはどうして環境破壊にならないんでしょうか。どの河川もほぼ同じ遺伝子を持ったものだけになれば、生物多様性や進化の過程をいじくっていることになります。減ったから増やすというのは程度問題ですが、どうやっても人間が意図的に増やせば、環境を恣意的にいじくっているということになるんです。また、外から持ってきて増やしたものと交配すれば、それはもう、外来種です。交わるはずのなかったものを混ぜてしまったわけですから。同じ種だからよそから持ってきて放してもいいとはいえないはずです。厳しいようですけれども。

 

それでも世間的に非難されず、許されるのは、鮎やワカサギは漁業権が設定されているからでしょうか。だったら、ブラックバスやブルーギル、チャイニーズカープにも設定し、総数管理をかけるべきです。ゲームフィッシュであるブラックバスなどは食用でもないのに経済性を与えられる可能性がある珍しい魚です。環境保護活動は基本的に慈善活動ですが、どんな活動も継続するには資金が必要になるものです。経済面での損得がなければ成立しないのであれば、やはり全国的に資源管理を行い無策に禁止したり、粗雑な方法での殺処分ではなく、お金を得ながら総数管理をしていく方向に切り替えた方が結果的にいいのではないかと思います。このように考える理由はすでに述べたとおりで、近年は「悪魚代表」であるブラックバスすら住めず、コイだけの単一水系が増えているからです。外来種筆頭を潰すあいだに、多様性が完全に失われてしまったのでは、なんのための水系保護かわからなくなってしまいます。

 

エゴが、正義が、自身の行動を正当化し、どんなに酷いことでもできてしまうのが人間です。そうして盲目的に行動した結果、取り返しのつかない惨事を引き起こしているのが現状です。本当にその施策は水系を守るのか。普段水系を利用しない人間が語る、自然の在り方などは信用に値するのか。我々は冷静に判断しなければならない時期がきたのではないかと思います。

 

水系を破壊するのは魚だけではない

水系の破壊者だったアメリカザリガニ

 

ブラックバスは特定外来生物に指定され、放流すれば極めて重い罪に問われます。また、飼育する際も届け出を行い、許可を得なければなりません。しかし、水系を破壊するのは魚だけとは限らないわけです。皆さんもご存知のアメリカザリガニなどはその代表格です。日本の固有種をほぼ根絶してしまい問題になりましたが、アメリカザリガニを語るとき、日本人は幼いころを思い出し、まるで美談の一風景のようにまとめられます。これはひとえに、ブラックバスは馴染みがなく、アメリカザリガニは馴染みがあるから前者は悪で後者は善という線引きが行われるからではないでしょうか。自分が悪いことをしていたはずがないと思い込む、人間の都合のよさの表れです。アメリカザリガニは種の根絶だけでなく、田んぼの壁を破壊し、用水を破壊し、稲を切り取ってしまうわけで、経済損失を出すのですが、こちらは赦されるわけですね。

※もちろん、農業関係者にとっては許せない存在ですが

 

そのアメリカザリガニすら減っているのはなぜか。農業関係者のたゆまぬ努力のおかげで駆除されてきたという側面ももちろんありますが、ザリガニを食べて大繁殖している魚以外の外来種がいます。「ミシシッピアカミミガメ」です。このカメ、日本人で知らないという人はほぼいないはずです。通称「ミドリガメ」というのがこれにあたります。

 

 

ミシシッピというだけあってアメリカ原産のカメですが、国内で大繁殖しておりまして、もはや日本のカメの60%強がミシシッピアカミミガメといわれております。彼らは雑食性で、他の魚もテナガエビやサワガニなどの固有甲殻類も水草のみならず稲やレンコンも食害します。こんな生態系の大破壊者かつ、農業、経済面でのネガティブな存在がいまだ国内では野放しで、毎年10万匹以上輸入されているというのですから信じられません。また、交雑種などの発生も確認されており、在来種を大切にされる方にとっても深刻な事態です。遺伝子的な変質は、戻しようがありませんから。

 

このように、ブラックバスどころの騒ぎではない大問題なのですが、日本では取り締まりが行われていないのです。ペットショップや縁日で簡単に手に入るため身近な存在ですが、体長30〜40cmともなると面倒を見切れず、簡単に逃がす人が後を絶ちません。「小さい水槽で飼うのはかわいそうでしょ。それとも殺せっていうの?!」なんていわれてしまったこともありますが、飼った以上は最後まで面倒を見なければなりませんし、逃すという選択肢以外取りようがないというなら、殺すしかないのかもしれません。でもそれは、当然殺生であって、本来ならそうはあって欲しくない。堂々巡りになってしまうのですが、ペットであるなら最後まで人間が面倒を見るというのが「正道」に近いのではないかと思います。すべての問題をたちどころに解決するような答えを持ち合わせていなくて申し訳ないのですが、それが最適解になろうと思います。

 

さて、そんなに危険で経済損失も酷いなら、ブラックバスのように特定外来生物とすればいいじゃないか、禁輸すればいいじゃないかと思いますよね。普通はそうです。でも、国は動きません。なぜなら、国内で飼われているミシシッピアカミミガメは数百万匹と考えられ、ブラックバスのように飼育に許可と届け出を(並びに厳重な管理環境を用意する)と通達すれば、飼い主が一斉にそこいらの水系に放してしまう恐れがあるためです。こうなれば、もうおしまいだということはおわかりになろうかと存じます。

 

しかし、それでも禁輸くらいできるだろうと思うのですが、今の法律では難しいだの、禁輸したところで国内でいくらでも繁殖させられるだのといって、国は何もしないのが現状です。こうしている間にもカメを飼い、カメを捨てる人はいるわけで、私などは国内のカメがすべてミシシッピアカミミガメになるまで何もしないつもりなのかと歯がゆい思いで見ております。なお、ザリガニが消え、カエルやホタルが減ったのもこのカメのせいだと指摘する方もおられます(ザリガニを食べ、水草などを刈り取って両生類や昆虫の住処や産卵場所を奪うためだといわれます)。

 

フィッシュイーターのブラックバスは大きくなっても鳥という天敵がおりますが、ミシシッピアカミミガメは天敵もおらず雑食性のため、ブラックバス以上に水系の単純化、砂漠化を招く存在です。水質の悪化にも強いのでなおさらです。ぜひ近くの汚れた湖沼などを見に行ってみてください。朽ち木や護岸にずらりと並んで甲羅干しをしている姿が見られると思います。

 

それでもすべての責任はバスが負え?

 

実はここからが本題なのですが、水質汚染からはじまる、これらすべての環境破壊の責任をブラックバスに負わせる人間が実に多いのです。水系が乱れればバスのせい。これは彼らにとって絶対の決定事項のようです。

 

バスを殺して水系を戻そうとしたものの失敗し、水生植物や昆虫を含めた水系の砂漠化や単一化(コイだらけ、カメだらけなど)したものもバスのせい。人間の生活排水でぶち壊していてもバスのせい。自分たちは悪くない、バスとバスを釣る人間が悪い。そうしておくことで、自分を守り、一等高いところに置いておける。実に便利な存在としてブラックバスが扱われているのではないか、と思うのです。もちろん、そんな人ばかりではないことは、保護活動をしていればわかります。でも、確実にそういう考えでいる人たちもいるのです。バスさえ殺せばすべての環境がたちどころに元に戻る。そう信じてやまない人が本当にたくさんいる。でも、実態はここまで述べてきたとおりです。そんな都合よくはいきません。こんなことをしていては、水系なぞ守れるはずもないのです。環境保護論者や活動家の自尊心を満たすため、自分らしさの発露のための水系保護はもう見飽きました。そしてそれらは、さらなる破壊しか生まないこともよくよくわかりました。今後はこのような善悪二元論の安易な活動に対して、ノーをつきつけていかなければならないと私は考えます。

 

環境保護に魔法はない

 

このようなスローガンを掲げれば、当然、よかれと思って活動している人々とは衝突するでしょう。しかし、ブラックバスもブルーギルも、食用蛙もアメリカザリガニも、食料(の食料)として「よかれと思って」輸入されたのです。「経済活動」を前にすれば、時に人間の善意や正義は何の力も持ちません(移殖当時は違法でもなんでもなかったというのも大きいでしょうが)。正しい環境保護の理念はもちろん、たとえそれがブラックバス憎しで凝り固まった正義であったとしても、経済や人間の命に関わる問題とぶつかりあえば、瞬く間に駆逐されてしまうのです。噛み砕いていえば、狂信的な正義感すら腹が減ったり、お金が欲しかったりという欲望にはほぼほぼ勝てないということです。

 

それほどまでに経済のインセンティブは強いのです。皆さんのまわりもよく見渡してみてください。お金になる魚は大切にされ、されない魚のなんとむごいことか。底引き網漁で大量にかかる雑魚は無駄死にです。うなぎも、マグロも将来の資源の食いつぶしだと懸命に学者が説いても、聞き入れられることはありません。くじらは保護だが、うなぎは食べる。腹がすくのと、お金の前には勝てないようです。誰もが自分さえよければいい、お金が稼げればいいという経済の魔性にやられているのです。(ちなみに私はうなぎを食べません。マグロも減らしてツナ缶はカツオのものにしています。でも、生き物を食べていることには違いないので、食べるあなたより偉いなどというつもりは既に述べたようにもちろん、ありません)

 

このほか、漁業関係者が環境保護のために補助金を受け、そこを支援するという名目で大学や研究機関が連なり、漁師にとって不利なことは一切黙殺するわけです。うなぎやマグロの資源保護はおろか、ブラックバスを殺せば国や自治体からお金が出るなら、彼らにとってやらない手はないということです。そして、それが正義で、これからも補助金が流れ込み続けるよう仕向けているとしたら。これは事実かどうかは確認できておりませんけれども、補助金をもらうためには完全に駆逐してはいけないからと手心を加えているという指摘もあります。まさかそんなことはなかろうと信じたいのですが、事実だとしたら環境保護とはなんなのか、情けなさばかりが先に立ちます。

 

それでも私は、彼らを単純な悪徳組織とは見なしません。人間は汚い生き物であることは間違いないことで、それは私も同じです。どんなに違うと叫んでも、動植物たちから見れば大差ないでしょう。そんな汚い人間だからこそ、汚い方法を用いれば、よりよい方法でゴールに進めるかもしれないわけです。教義や信仰、正義のぶつかりあいはどうしようもありませんが、「お金」「経済性」というキーワードで動いているなら、やりようがあるはずです。先にも述べたとおり、1)お金になる方法で、2)環境をゆるやかに保全し、3)自然が最適解を見出して自然に回復するのを待つ。これは机上の空論ではないと考えます。ここに経済性が十分担保されて、お金によって継続的にまわっていく仕組みがつくられるなら、それに越したことはありません。そのほうが環境保護を目的としない、経済性のない、(人間の自尊心を満たすための)環境保護が台頭するよりずっといいと私は考えます。

 

例えばブラックバスやコイなどに漁業権を設定し、ゲームフィッシングの競技化や、従来の手法ならば遊漁料やフィッシングリゾートという形で、駆除活動の補助金で食べていくよりオイシイ方法を提示していくべきではないか、というのも、この一環です。ここには胸を張れるような正義はありません。でも、着実に前進する環境保護の理念はあります。バスを殺せばたちどころにすべてが解決しないように、人の行う環境保護にも魔法はないのです。だったら、地に足をつけた、地道な方法で環境を守ることを考えるべきではないでしょうか。

 

本当に怖い生き物と、これからについて

冒頭に述べたとおり、ブラックバスは生態系を破壊します。しかし彼らは肉食のフィッシュイーター。食べられる魚や甲殻類がいなくなったら、水草や泥を食めばいいやとはならない。サバンナのライオンがシマウマを絶滅させることがないように、ブラックバスも一時爆発的な増加をすることはあっても、その個体数を維持できないほどに増えることはない生き物なのです。一番恐ろしいのは獰猛な肉食生物ではなく、雑食性であること。繁殖能力が高くとも、環境耐性があろうとも、食べるものがなくなれば増えることはできません。しかし、雑食性であれば、他の肉食、草食の種が絶滅するまで生き延び、増え続けることができるのです。

 

雑食性だからこそ居なくならない生き物がいます。増え続けてきた生き物がいます。私たちもよく知っている生き物です。その生き物を我々は「ヒト」と呼んでいます。ヒトはこの100年で5倍に増えました。こんなに子育てに時間がかかる致命的な動物で、一度に三人産めば新聞が取材にくるほど少産にもかかわらず、これほどの増え方をしたことが、そっくりそのまま雑食性の生き物の恐ろしさを証明しているわけです。いま食料危機がどうのと語られますが、なんでも食べるヒトが絶えるときはすなわち、草木一本生えない砂漠になったときです。我々が身をもって体験している問題を何も考えず水系に投影してはいけません。

 

ここまで水系の生物の話を中心にしてきましたが、少し脱線して水系以外の生物の話をしましょう。我々が見ている牛。あれはもう、本当の牛ではありません。原種は江戸時代の初期、約四百年前に絶滅しました。大きな個体では体高が3mを超え、体長も4m弱。並のクマより大きく、かつ今の牛よりすばやく動くことができたそうです。このオーロックスという牛の原種を家畜化したのがいまの肉牛や乳牛です。いうまでもありませんが、牛といわれて思い浮かべる白黒のホルスタイン種は日本固有の牛ではありませんし、沖縄の伝統的な風景などといって牛車を引いている水牛も日本には元々いない動物で、わざわざ東南アジアから連れてきているものです。沖縄の白い砂浜を水牛が牛車を引く。古きよき日本(琉球)の原風景……ではないんですね。伝統も文化も人間が恣意的に破壊した環境、生物によって作り変えられている可能性がある、ということです。

 

このような事情を個別に書けばそれぞれが論文になってしまいますので、話を引き戻してここでは鮎の話だけにいたしますが、例えば琵琶湖などから連れてきた陸封型・淡水系の鮎(海を知らない鮎)は放流してもかなりの割合で海で死にます。当然ですよね、塩分耐性がなさすぎるからです。そこで人間の浅はかさでもって、海を知る鮎と交配させようと考えた。琵琶湖の鮎などを各地の河川に離し(この時点で人為的に生態系を壊しているのですが)、その地域の土着の鮎、海を知っている鮎と混ざれば塩分耐性もついて万々歳。資源も回復すると思ったのです。ところが、結果は真逆。淡水系の鮎の特性を半分受け継いだため、塩分耐性があった鮎たちも海で死ぬようになってしまったのです。こうなると、もう挽回する方法はありません。遺伝子を汚染し、本来、海水で死ぬはずのなかった鮎たちをむざむざと魚のプロであるところの漁業関係者や環境保護団体が水系の魚を殺したのです。あとは毎年、減った分を補うために死ぬとわかって琵琶湖の鮎か、よその川の海の鮎を買うしかありません。そうやって鮎を残したところで、もはやその水系は本来の形ではないわけです。また、琵琶湖の鮎特有の病気や性質が発生したとき、汚染された鮎たちが一斉に死に絶える可能性もあります。事実、1990年代に冷水病という病気が問題になり、現在も特定の病原菌を保菌した鮎が放流された結果、水系に問題が起きている例がございます。さらに元も子もない話なのですが、一部では鮎の放流と漁獲量には相関性がなく、完全に無駄である、地域の漁協が補助金を食い物にするための詭弁であるとする水産資源研究者もおります。書いていて嫌になるのですが、我々人間は、どこまでも度し難い生き物のようです。

 

まだまだ事の本質に迫れたとは思いません。同時に色々なものへの怒りも収まりきりません。しかしながら、どれだけ言葉を並べても行動がなければ何事も変わりませんから、ここで一度筆を置くことにします。ここまで述べてもブラックバスが環境を壊しているというのであれば、止めません。そういう側面が一切ないとはいえませんから。ですが、ブラックバス憎しで凝り固まるのではなく、もっと広く視野をとり、最終的な目的地を見定めたうえで、いま我々がしなければならないことを考えることが真のゴールであると私は確信しています。その過程でブラックバスを根絶するというのであれば、これも私は止めません。ただ、一時の無知からくる感情や個人的正義、経済性といったものに頼る今の環境保護では、すべての種が汚染されるか、絶滅してしまいかねないことを忘れてはいけません。保護論者も、アングラーも、水系とはまったくの無関係だと思っている方も、今一度、この国の自然がどうあるべきか考えるきっかけになれば幸いに思います。

もし、これらの考えにご賛同いただけるなら、多くの方の目に触れ、周知されますよう、少しだけご協力いただけませんでしょうか。あなたのできる範囲で拡散いただくだけで結構です。ぜひ、お願い申し上げます。

 

2015年7月某日

−20年前にくらべ、ブラックバスすら減った水系を想いながら

                            (雨龍義基)

 

環境保護で満たされる心についての追記

 

環境保護の名目でバスを殺すこととは反対に、命を守ることで満たされようとするエゴについてみなさんに知ってもらいたく、改めて筆をとります。バスを殺せば「いいことをした」と満たされる人がいることはみなさんもご存知のとおりです。一方、環境保護の名目で行われる個体減少の危機や絶滅危惧種の放流会、例えばウミガメなどを放すというイベントがあったりしますよね。これも豊かな自然を守っているとして、大変意義のあることだと心が満たされる人が多いようです。

 

しかしながら、すでに述べましたように、その水系にいないものを連れてきて放すのは生態系の破壊でしかありませんし、ウミガメのように人間がわざわざ卵を掘り返し、人工ふ化して送り出すというのは環境の保護として正しいことなのかとも思うわけです。人工孵化させられた個体の生存率、定着率の悪さは知られているところでありますし、この人工ふ化と放流の間には観光資源としての活用という「経済」の事情が割って入ります。ウミガメはふ化したその日に海へ行かなければならない生き物です。地上に出た瞬間に一秒でもはやく安全な場所へ隠れるべく、最も生存本能を発揮するように設定されているためです。これをふ化後数日、数週間も置いて「放流イベント」のためにとっておくようなことが本当の環境保護なのか、そして正義や倫理を語る人間がやって許されるのかと思うのです。

 

使用済みのわりばしを集めるより、間伐材や木材チップ、おがくずの有効活用をした方がずっと環境保護になる。プルトップやペットボトルのキャップを集めるより、金属ゴミを分別する方がはるかに効率がいい(それもなにかの役に立つかもしれませんが)。でも、正しく認識されることはありません。人間は「経済」に加えて、「いいことをしている」という雰囲気が大好きだからです。「いいことをしている感」は、あらゆる行為の免罪符になりうる劇薬的感情です。もう一度、様々な活動を見直し、我々釣り人が正しい環境保護とはなにか見出していく必要があるように思います。

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コメント

    • バス釣りマスター
    • 2018年 9月 20日

    あまりにも長いから3日にわけて読んだはwww

    でも、バス以外にもおかしいのがいるってのはわかった。バスばっかり悪者にされるのは我慢できんはw

    • ぷかりーまん
    • 2018年 9月 20日

    活動資金集めが目的なら、本を出すよりやることがあるんじゃね?
    ただのバカだろこいつ。

      • 匿名
      • 2018年 9月 24日

      バカだから本も出せないんだろ。
      全部言わせんなよハズカシイwww

    • こと
    • 2018年 9月 26日

    はじめてコメントします。
    とても難しいことに取り組まれているのだなあと感心しきりでした。

    どうしても良いか悪いかでしか見られないし、そうしないと売れないというのも理解できます。
    でも、そんなことではいけないんですね。

    もっと常識と思われているけど、そうじゃない外来生物の話を聞いてみたいです。

    • こと
    • 2018年 9月 26日

    このままでも十分出版に耐えるのではないでしょうか?

    noteなんかで売ってみてはどうでしょう。

    • あお
    • 2018年 10月 07日

    「出版予定だった」とかいうホラふくとこに人間性が現れている
    どうせアマゾンでの個人出版とかなんだろうけどさ

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