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太陽光発電は環境に悪いは本当か?

「太陽光発電が環境にいいというウソ」のウソ?

はじめに

お久しぶりです。なかの人こと大路です。寒くて風が強くて釣りには向かないこんな日は、環境について考えるのにぴったりかと存じます。今回は出版予定だった「善悪なき環境保護(仮題)」のなかでもみなさんに考えてもらいたかった太陽光発電の問題について取り上げます。ただし、わざわざ山中を切り開いてのメガソーラーではなく、家庭用のものを前提としています。山林を切り開き、赤土を露出させての太陽光発電の設置は、ダムをつくるのと変わりませんからね。既存空地を使うのとは違います。メガソーラーであっても比較的良好なものと、悪質なものがあるのですが、それらの色分けもせず一緒くたに「太陽光発電は環境に悪い」という論は本当だろうか、ということを考えていただきたく思い、このようなエントリーを公開することにいたしました。

 

太陽光発電が環境に悪いといわれる理由を考える

 

  1. 太陽光を設置する場所の問題(すでに提示したとおりです)
  2. 太陽光の製造と廃棄が環境に悪い
  3. 経済的でなく、不安定で儲からないので悪い

 

このほかにも様々な問題点がありますが、今回はこの3つを取り上げます。とくに2と3が主題となります。

 

太陽光の製造と廃棄コストが環境に悪い論

この考え方は一般的になっていますよね。家庭に(自家用)太陽光を設置しますといって、真っ先に指摘してくる人がいるのもこれです。でも、この理論が成立するのであれば、ちょっと困ったことが起こりますよね。

そうです。火力発電や水力発電、一番わかりやすいのは原子力発電かもしれませんが、これらの発電には製造コストと廃棄コストがかからないのかという問題です。

太陽光発電のみ、製造コストと廃棄コストを含んで検討させられるのはフェアではありません。仮にコストを含むとして、工業製品として均一に製造できる太陽光と、火力発電であれば設置にかかる人や資材、石炭・石油・液化天然ガスの輸送コストや最近であれば海上の警戒までしなければならないようですが、そういったコスト、火力発電所の機材の更新や最終的に施設の解体時にかかるコストを含んだうえで計算してもらいたいわけなんです。

水力発電であれば、ダムの建設、そこに住む動植物、人の環境の変化とコスト、下流域への土砂減少による海岸の減退、地力の低下、地下水流量の減少による地盤沈下、そして最終的にどのように処分するのか。複雑怪奇です。ひとりの人間が簡単に計算できるものではありません。

 

火力と水力については、こういったコストが目立たない。火力は燃やした結果の二酸化炭素にしか耳目が集まらず、水力はダムに沈む村といった形でしか認識され辛い一方で、原子力は放射能と人間の手にあまるという点でとてもわかりやすかったのです。いま、太陽光発電に関してはとてもわかりやすいことで悪者論に傾倒しているのだと思われます。なにせ一般家庭が少ない都心部でもコンビニの屋根から商業施設などにも設置される、どこにでもある身近な存在で、仕組みも簡単なので誰もが欠点を指摘しやすいので、気軽に議論できてしまうんですね。そうして出てくるのが「製造コストと廃棄コストを考えているのか」などなのです。そうして火力や水力はそういった部分まで踏み込まないのに、重箱の隅を突ついてしまうわけなんです。ということは、それくらいしか目立った欠点がないともいえるかもしれません。

長くなりましたが、この項目でいいたいことは単純です。製造や廃棄、運用のコストを指摘するならば、ほかの発電方法でも考えてみよう、ということです。

 

儲からないから悪者論について

太陽光発電は儲かる、という時代は終わりました。いまは自家消費するためにあるようなものです。あるとき、強烈な太陽光発電のアンチ活動をされているかたの発言を耳にしたことがあります。そのかたは、経済性が乏しく、ほかの発電方法のほうがすぐれているので、太陽光はダメだといいます。確かに電力共有という点で安定性も欠いており、蓄電池や電気自動車などを備えなければ夜間は使えないという致命的弱点を抱えています。ただこのかた、メガソーラー投資に最近引っかかって、想定する利益が出なくてお怒りだったということなんです。反太陽光の旗印は、私怨半分、だったんですね。

ましてや、補助金や売電価格が下がったから太陽光は悪だ、もう不要だというにいたっては環境保護の議論に加わるべきではなかろうと思います。それらはまったく別の問題です。自分のエネルギーを可能な限り自分でつくるために家庭用太陽光発電があるのです。電力の安定供給というものは余裕をもってつくるのが原則ですから、常に数%は無駄なエネルギーを使っていることになります。これを少しでも減らすのです。

いま100の電力が必要で、安定供給のために3%余分に電力を生産していたとします。すると生産されるエネルギーは103です。一方、家庭用太陽光などが普及して、必要な電力が70に減ったとしましょう。すると、同じ3%だったとしても、必要になる余剰電力は2.1です。72.1生産すればいいことになります。パーセンテージは同じでも、量としては減らせるのです。しかも、余剰電力という完全に無駄になるエネルギーを直接減らせる。これはとても効果的だと思うわけです。

電気自動車が普及すると消費電力は増えるので電力消費量が減るのはかなり先かと思いますが、それはガソリンや軽油の車が置き換わったためで、エネルギーのトータルとしては無駄が減ったといえますよね。全国各地にガソリン網を引く手間を考えると、電線で済んだり、自宅の太陽光発電から持ってくればいいとなれば輸送コストもかかりません。そこまで悪い話でもないのではないかと思われます。

 

 

ゼロリスクはありえません

とはいえ、先のかたがおっしゃるように、太陽光の欠点は厳然として存在します。しかしながら、技術的に未熟であるから使ってはならないというのはどうかと思うわけです。どんなものにも初期段階は存在します。自動車は危険だといって、馬のほうがいいといっていたらどうでしょう。いまの環境破壊はなかったかもしれませんが、このような高度で利便性バツグンな世の中にはなっていなかったでしょう。新しい技術が初期段階でヨチヨチ歩きだからといって、ことさらそれを否定し、既存技術のほうがいいということは、その先の未来を否定することになりかねません。

太陽光がロクでもない技術であるならば、それを上回るほどに明るい未来を見通せる技術を代案として提示し、そちらに投資を振り向けるべきだといったほうが健全ではないかと思います。家庭用風力発電や、超小規模水力発電などですね。それでももちろん、問題がないわけではありません。環境的にゼロリスクにはなりえないでしょう。

まず、大前提としてゼロリスクというものはありえないという意識を持っていただきたいと思います。ここが大切なところです。大学でもリスクマネジメントというかたちで講座がもたれるようになりましたが、我々がつい求めたくなる「ゼロリスク」はありえないことなんです。いまこの瞬間に、心臓が止まって死んでしまうというリスクすらゼロではありません。「手術をしなければ死んでしまうが、したとしても50%の確率で手術中に死ぬ」となると、逡巡するのが人間です。手術しない理由はないのに、です。

このように、人間はリスクを過度に恐れ、その結果として「ゼロリスク」を求めてしまいがちです。太陽光発電を否定したくなる心理は、こういった新しいものへの恐れと、既存のものへの信頼からきている部分も過分にあろうかと思われます。太陽光発電であれ、既存の発電であれ、ゼロリスクを求めていないかだけは確認しておきたいところです。リスクを論って否定していくと、最終的にすべてを否定しなければならなくなりますからね。この瞬間に死んでしまうかもしれないというリスクを抱えている自分を否定……なんて、落語のネタみたいなことになっちゃいますよ。

 

太陽光発電だけが環境に悪いわけではない

善悪なき環境保護』というタイトルで出版予定だったことからおわかりかもしれませんが、これは特定の発電方法が悪だといいたいわけではありません。なにかを悪者にする前に、根本的に、もっともっと悪いものがいるからです。

そうです、我々人間です。我々さえいなければ、環境問題すら起きないのです。どの発電方法が悪いという議論は枝葉末節に過ぎず、特定の発電方法を活用や推進する人間に対して、上等・下等と論じること自体が無意味だと感じます。そもそも、エネルギーを使う人間すべてが悪いのです。「誰が」ではなく「自分が」悪い。

スピード違反をして、「あいつのほうがオレより10km/hもオーバーしてたろ!あいつを先に捕まえろ!」といっても無駄です。スピード違反に違いはありません。石を投げていいのは、環境負荷ゼロの人だけです。そしてそんな動物は、まずお目にかかれません。

いかにして環境負荷を減らしていくか。また、環境保護の名の前に行われる二重の環境破壊を防ぐか。ここに注力していくべきだと思います。木が減った、魚が減った、外来魚が増えたから駆除しよう……。このあとに行われる、植林、養殖、移植の類は、一律に、人間が再び自然に手を加えている状態です。外来魚にいたっては、外来魚を入れ(一次)、駆除し(二次)、別の魚を入れる(三次)と3度も環境改編を行っていることになりますよね。これは『善悪なき環境保護(仮題)』の中心的な考えです。環境保護を政治や信条の争いにしてはいけないのです。その結果として、善意による更なる環境破壊を起こしてはいけないと思うのです。

 

おまけの議論として

反地熱発電という可能性

太陽光発電というものがあるなら、地熱発電というものもあろうと思います。ここでいう地熱発電というのは、従来の地球の熱源を発電に用いるのではなくて、空気中の熱を宇宙に放出する放熱によって生じるエネルギー差を利用し、発電できないかという中学生くらいの私の思いつきです。すでにあるという話も耳にしますが、これが実用化できれば、環境破壊による気温上昇は抑えられることになります。太陽から受け取ったエネルギーを消費し、地球上に残留するエネルギーを宇宙に放出することで収支をあわせる。絵空事のようですが、そんな発電方法があれば、当面の問題は解決しますよね。

 

車載・航空機用小型風力発電

自家用車や電車、航空機に風車を付けます。電車や航空機は減速時の回生ブレーキとして使い、自家用車の場合はこれに加えてエンジンやモーターを冷やす場合にも使ってみてはどうでしょうか。高速走行時の風圧は相当のものです。これらを上手に使うことができれば、海岸や山中に巨大な風車を置かなくてもいいかもしれません。

 

おわりに

超高効率太陽光発電や蓄電池技術に加えて、これら技術が達成されれば、多くの問題を解決するかもしれません。ただそうなると、さらに人間が環境への配慮を忘れ、農地開拓や種の絶滅にひた走る可能性もないとはいえません。身につまされてまだなお、問題を直視できないのが人間です。これは副次的な問題ではありますが、そこも含めて環境とは、エネルギーとは、と考えることを忘れないようにしていきたいですね。

みなさんもこの瞬間に少しだけ、環境保護とエネルギーについて考えていただけると幸いです。

10年後、20年後ものんびり釣り糸を垂れていたいじゃないですか。

善悪なき環境保護の出版、あきらめてないですヨ。誰かに届けて欲しい!どうぞよろしく!)

 

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