人間を幸福にしない日本というシステム

四六版, 書評

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本書が書かれたのは1994年。私がはじめて手にしたのが2004年の秋。古本まつりが盛況だった神保町の「捨て値コーナー」だった。古本を買うということは一般書店にないものを除いて基本的に行わないのだが、1994年という奥付の表記と、一期一会な予感が後押しし、安易に古本に手を出してしまった。

 

 

日本人の中に、自身の力に基づかないプライド(Japan as No.1思想)と、従来型の親方日の丸思想、政治的無力感が渾然一体となった中間層のモノの考え方というものが醸成されていったことは間違いない。自分は貧乏ではないという自尊心と、自分は強欲ではないという金持ちに対する批判精神、政治や官僚が下手を打っても怒らない、怒らないことが自身の価値を高めるという、中産階級にあるまじき金持ちケンカせずのスタンス。この抜け駆けを許さず、同時に金持ち風のまさかのスタンスが根付いたことで、最も管理しやすい国民になったのではないかと思う。

 

 

世界屈指の富める国にありながら、カネもなければ、学も、幸せもない。自称中産階級の全面的貧困層たちばかりなのはなぜか。中間と平均は違うということだ。テストで100点の子と、20点の子、0点の子がいるとする。平均点は40点だ。さて、平均点より上に何人、下に何人いるでしょう。イメージとしては、平均点付近に人がたくさんいたり、100から0までまんべんなく人がいるような気がするが、往々にして経済のような満点が何円になるのかわからないテストでは、こういうことが起こる。1人の富裕層と、2人の貧困層がいるだけ。中間層などどこにもいない。が、日本人は士農工商の時代からよく訓練されているので、0点の奴を見て「俺は中産階級だから」という。100点の奴はそれを見てしめしめと思っているというわけだ。

 

 

事の本質を見極める力をつけなければ、日本は何も変われないと思う。経済や社会情勢に限らず、日本人は小手先大好き人間ばかりだ。例えばゲーム。画質がいいことやムービーが綺麗なことが最重要課題だ。次にマンガ。作品のおもしろさよりも画力で判断するしかできない連中のなんと多いこと。アニメにいたっては、豪華声優陣!とやらを並べれば成功である。どこがクールジャパンなのか。うすら寒くなるだけだ。趣味の世界ですら小手先しか見ないのだ。本質など理解できるはずがない。与えられる情報や賃金、環境、あらゆる「微差」を見つけては溜飲を下げ、本質には届かない。国家の中枢にいる人間たちはいつまでも安泰というわけ。

 

 

もっとも、家に帰ってこんな本を手に学ぶ時間もないのだから、怒り方もわからないのやもしれない。ブラック企業がどうのといっても、労基に駆け込む奴はやっぱりいないし、自分より酷い生活をしている奴をネットで笑うのに必死だ。金持ちケンカせずの精神なのかもしれないが、金持ちは事の本質を見極めて、ケンカをしても損だからしないだけ。ケンカすべきところでケンカができない日本人は、やっぱりこれからもしっかり飼われていくしかないのかもしれないのだろう。

 

 

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