2016
06.10

大学生の学び・入門

☆☆, 四六版, 書評

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大学は勉強をしにいくところである。しかし大学生活は勉強だけをするものではない。この違いがわからない程度の大学生が多いのかもしれない。日本語の機微ではあるが、まったく別のものであることは指摘されればわかると思う。そんな大学生にも大人にもなってはいけないし、もしも親ならば、そうならないよう道を示してあげて欲しい。強制しない範囲で。

 

大学生は学ばないが、学ぶ環境は整い続けている

まったく確証はないが、明治や昭和初期と比べれば大学生は学ばなくなっただろう。しかし、ここ数十年程度であれば大差はない。むしろ学ぶようになった大学、学部もあるやもしれない。学生になったころこんな本はなかったし、教受でございといった感じの論文執筆本が関の山だった。より短時間に、無駄な努力(?)をすることなく勉強を修めることができるのだから、今ほど真剣に学ぶのに適した時代はない。

 

しかし、冒頭のとおり学生たちは「大学は勉強をするためだけの場所ではない」などという詭弁を振りかざす。大学側からすれば生徒は顧客で、教授は派遣社員みたいなものだから、力関係は明白。学問と講義に力を入れる教授は自然いなくなる。

 

まったくもっておかしいことだ。私の子どもがこんな詭弁を吐いたなら、「大学で勉強する以外の費用は自分で払え」といってやる。こんなことをいう輩はおそらく大学生活の2割も勉強しないだろうから、学費が100万円なら20万。生活費が10万なら2万でよかろう。あとはどうぞお好きなように。私とはもはや何の関わりあいもございませんといったところだ。お勉強以外のことを自発的に考えてやれるほどの頭があるなら、もう子どもとは呼べまい。そのとおりにあつかうのがよい。

 

そもそも、本文中にも出てくるが、勉強は英語でworkである。homeworkで宿題になる。宿題という二文字はいくつになっても嫌なものではあるが、勉強は子どもの仕事なのだ。働かざる者、食うべからず。権利を主張する前に、義務を果たせということである。

 

大学の授業は学ぶ意図が不明、役に立たないのか

確かに、90分の授業中ウルトラマンの話をしたバカはいた。ルパン三世がどうのといっている講師もいた。彼らから学ぶものは何もない。では、なぜこんなものが講師として一流大学にさえのさばっているのか。それは、そんな輩の話しか学生が聞かないからである。なにもこれは学生を責めようというのではない。学生を取り巻く環境すべてが、学問に向かないように、向かないように仕向けているのである。

 

例えば企業。そして、そこへ入れくれるらしい就職活動のエージェント企業。マナーがどうのと勝手に標準化し、ありもしないルールを物を知らぬ学生に教えて小銭を稼ぐ大人。この周辺だけでも数え上げればきりがない。だから、学問なんかしている暇はない。大学に入った後のことを企業は見ないのだから、大学に通う意味すらない。よって、怪しげな就活ビジネスに飲まれに行くのが正しいということになる。

 

例えば大学。立派な講義をしている教授を褒め称えることはしない。寝ている学生や私語をやめない学生を追放することもない。むしろどんなにいい講義をしても、学生に不人気な教授は日陰者にしてしまう。だから教授も真面目に講義をしなくなる。学を与える場として機能不全このうえない。

 

例えば親。親は大卒だろうか?最近は大卒も増えたろうが、本当に、懸命に勉強したうえで卒業してきた親など耳かきの先ほどしかいないだろう。大学生活は気楽気ままでいいというか、自分のことを棚にあげてムチャクチャな勉強を精神論で強要するか。大卒でなければ後者の傾向が強まるだろうが、やっぱり大学を理解していないことには違いない。

 

大学で学ぶことの価値、意義を子どもに教えられる大人が誰もいないわけだ。だから楽して就職する方向へ子どもたちはひた走る。当然である。手近なゴールに向かうのは、誘蛾灯に誘われる羽虫に同じ。人間はそういう生き物なのだから。

 

だからこそ、本書のような論理的で初歩的な学習指導と、学問の意義を教えるものが必要なのである。学生は親と教師以外の大人とつきあったことがないのが普通。そこにきて、就活企業の大人が煽り立てた日には、すわ一大事と信じ込む。勉強なんかやっている場合ではないと。その前に、できれば中高生のころから、大学に行くなら学問をすればいい。ちゃんと考えていけば自然差別化がなされ、就活で話すことだってできるということを教えておかなければならない。

 

これからの大人が考えるべきこと

もしあなたが企業の採用担当者なら。いや、そうでなくとも、大学で学問をしっかりとやったかどうかで学生を判断してもらいたい。現状、そういった指標は十分に整ってはいないが、いないなら作っていかなければならない。なんなら私が手を挙げても構わない。大学横断的に学んだ内容や難易度等を総合して比較、判断できる成績指標があれば、その証明書を持ってくれば一目瞭然。履歴書とセットで企業に提出するのが一般的になればと思う。このようなサービスを実行したいという大学、企業様ございましたら一声お掛け願えれば……。

 

と、脇道に逸れたが、大学の学問は答えがない。暗中模索の中、自分で仮説と検証を繰り返し、ゴールを探す。この力は通常、訓練しなければ身につかない。ただ与えられた課題をこなすだけの人間と、自身で新しいことに挑んでいける人間。どちらが役に立つかは状況次第だろうが、そのような人材が欲しいという場合は、ひとつの指標として役立つ。自分で考えられる人間の尊さを教え、育て、評価する社会。今後日本はそうあらねば、新興国に賃金の安さで負け、先進国にアイデアで負けていくことは容易に想像できる。今なら遅くはない。大人も、子どもも、指南書を手に学問からこの国の未来を考えてもらいたい。

 

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