折れそうな心の鍛え方
心が弱い人がいる。弱いから、すぐに折れる。折れるから責められる。そしてまた折れる。一方で、心の強い人がいる。どんなに打ちのめされても折れない強靭な心を持ち、どんな逆境にも負けはしない人がいる。心の強度はそれぞれで、筋肉と同じように鍛えられると私は考える。ただ、鍛えたからといってあらゆる困難に打ち勝つとも限らないし、鍛えなくても平々凡々とした、波風の立たない生活を送っていれば折れることもない。どんな人生になるかはそれぞれ。だからこそ、強いだの弱いだの、鍛えるだの鍛えるなだの、生まれつきだの後天的だのといった意見が出てきて混乱するのである。
心は鍛えるものだろうか
私は心は鍛えられるものだと思うし、誰もが今より少しだけ強くする努力はしていくべきだと信じている。だから、私は率先して苦境を目指す。そうやって生きてきた結果、うつ病だといわれた。実際はうつだった方がマシだったのだが。胃潰瘍になろうが、ストレス性の頭痛に悩まされようが、腸閉塞になりかけようが、必死に仕事に打ち込んだ。70時間寝ずに勤務し、2時間休憩してまた40時間勤務したりした。石にかじりつく思いで駆けずり回り、健康、睡眠なんのそので努力し続けた。
そんなものが一体何になるのか。壊れない自慢は、多くの壊れた人間の犠牲のうえに成り立っている。たった数人の超人の基準で人を動かして、圧倒的多数の病人を生み出したのでは、収支があわないとは思わないのか。命をやり取りする軍隊ですらできている、人の扱いの基本がこの国ではできていない。
もっとも、本書では著者がうつ病(っぽいもの)に勝った。医者にも頼らずどうにかした。だからその方法を教えるというものだ。
ガンにまじないで勝つ奴もたまにはいる。そういう話だと気づかんものか。話がスタート地点に戻ってしまうが、尋常ではない苦境に耐える奴もなかにはいるのだ。そんな超人、異常値を一般化するな。そういう考え方がある種のうつ病の生みの親なのだぞ、と。
そうはいっても、ちゃんと本を出している立派な著者さんじゃないかという批判もあろう。では、「老眼は気合いで遅らせられる」といわれたらどうだろう。本書にさも当然のように出てくる内容だ。また、うつについて語る部分は2割もないし、先のとおり、まともに論じることもできやしない。さあ、あなたは手に取るだろうか。
あれこれ思うところはあるが、早いところ始末をつけるのならば、こうなる。「著者よ、お前はやっぱり心療内科に行くべきだ」。
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