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被災時にペットを連れて避難所へ行ってもいい?

災害時の避難でペットをどうするか

 

被災したときにペットと一緒に避難するのは当然の権利だと、影響力が大きな有名人と企業(糸X重Yさんのところです)がいっています。世間的にはペットと人の命の優劣は語ってはいけないことになっているようなので、それはよします。

 

避難所に行くペットはイヌやネコだけですか?

 

さて、いま、ヤドクガエルなどの毒を持つ両生類、爬虫類や、魚類などの設備がなければ管理が難しい生物、一般に忌避されるような昆虫類、たとえばゴキブリなどを飼っている人が避難してきたとき、同じペットだから、当然同じ空間に避難して暮らす権利があるといって受け入れますでしょうか。

 

そんな極端な話と思いますか。本当にそうでしょうか。

では、同じ哺乳類のキリンだったらどうですか。

犬や猫だけ特別扱いなら、人を特別扱いする人を非難はできないはずです。

 

安易なポジショントークで自分の価値を高めようとする人が多すぎます。そういうのは高尚、高次の発言なんかじゃありません。もっとも忌むべき、低次も低次の議論だと思うわけです。現実を見ていない人が、被災時のノウハウを語るなんて冗談もいいところですし、命に対して礼を失していませんでしょうか。

 

私のペットへの姿勢と考え方

 

私はペットを飼いません。でも、動物と暮らすことはとてもいいことだと思います。互いに不満がなければ。しかし、私はペットを飼いません。被災時やなにかあったときに、彼らに対して責任を負えないからです。

 

私は肉も、魚も、野菜も食べる極悪人です。ペットを飼わない、動物を檻に閉じ込めない、誰よりも命のことを真剣に考えている優しい人……ではありません。動物も植物も殺して、今日も生きています。矛盾だらけの人間です。矛盾があるという点においては、ペットを飼おうが飼うまいが同じです。私にも矛盾があります。でも、その矛盾は人間という動物が生きるうえでのどうしようもない矛盾です。ペットを飼って、余計な問題を抱え込んでいるのに、その矛盾や責任を世間に帰するようなことはしませんし、動物を飼っていることで「動物にも優しい自分」を演出するような矛盾もありません。まあ、私はこのあたりで人の上下、優劣なんてものをつけようとは思っていませんのでどうでもいいことなんですけど、次の話のために、こういう話題を振っておかないといけないんです。

次のページでは避難所と自治体の関わりについて考えます。

 

自治体はペット同伴可能の避難所を開設してしかるべきか

 

こういう話題が出ると、決まって自治体批判、行政批判になります。ペットがくることも想定して受け入れ準備をしておくべきだというものです。でも、犬や猫だけでも大変なのに、この千差万別な動物たちの、その年齢や体調にあわせた食事や設備をどう整えるのか。犬や猫だけ特別扱いしろとでもいうのでしょうか。

 

そして、避難所の話になると、概して犬猫中心の話になるんです。鳥類に爬虫類や両生類、魚類に昆虫は? という話をすると、みな一様に眉をひそめるわけです。それからしばらくして顔を見合わせて、一斉に「そんなの知るかよザマス!!」という。私なんかはそこに線引きしちゃダメだろうと思うんですけど、自分の興味のない命にはどこまでも残酷になれるわけです。かわいいワンちゃんを散歩させては、すかり(漁の道具です)に入ったブラックバスを引き上げて、土手に埋めている人を知っていますからね。絶対の価値観、絶対の正義を軸足にしている人に、命の平等を説いても無駄です。彼や彼女らは命を平等に扱っているつもりで、「命とも思ってもいないもの」を処分している感覚ですから。ちり紙や生ゴミと同じなんですね。だから「ニシキヘビだって大切な家族なんですけど」といっても、きっと「バグった」ような顔をするでしょう。理解するしないではなく、言葉として認識できないくらいの反応です。これを丁寧に解きほぐしていくのは至難です。本当に、至難の技だと思います。

 

それはあまりに要求が過ぎませんか。また、仮にやるなら全種、やらないなら一切。これが紋切り型の役所や役人のあるべき姿だと思います。そして私としましては、人間の管理(環境、衛生、犯罪)すら困難を極めるのに、ペットの面倒まで自治体がするというのには否定的です。

 

それでも準備をするのであれば、ペットを飼っている方が税金を収めるなりして専用の避難所と避難設備を設けるべきです。犬猫の鳴き声がしても構わない人たち用の避難所開設のための費用を出す。当たり前ですよね。血も涙もないと思われますか? でも、ペットを飼わない人や、その種類のペットは興味がない人からすれば(鳴いたり走り回ったりするのが嫌って人もいますよね)、自分は絶対に利益を受けないことに税金を使われるのはおかしい、ましてや人ではなくいてもいなくてもいい愛玩動物(ペット)のために、と思うものではないでしょうか。

 

ペット税をきちんと徴収するしかありません。もちろん、全員のペットを把握するのは事実上不可能でしょうし、そんなことをすると動物を野に放つ(外来生物の項目でもやりましたね)人間が出てくるので、そんな議論もできないものと思います。ペットを飼う人は命に対して真剣で立派な人のはずなのに、おかしいですね。

個人的な話で申し訳ないんですが、「私はペットは飼わない、飼うにしてもなにかあったら責任を持ってトドメを刺せる魚にします」といったら、人間のクズだと面罵されたことがあって、「命を大切にしているそこらへんの凡百どもとは違う人間性を持った飼い主」というものに対して、なかなかに黒い感情を持っているという事情があります。

自治組織なり自治体なりが被災時の受け入れを条件にプール金を集めて、支払っている人間とペットだけを受け入れる。これくらいしかないと思うんです。私は現実的な問題として被災しても守りきれるよう環境を整えるのが前提で、ペット同伴で避難所へ行くことに否定的ですのでこの程度のことしか思いつかないのかもしれませんが、やはり、環境、金銭、様々な部分からどう頭をひねっても、ペット同伴避難は避けるべきだと思うわけです。ペットは家族なわけでしょう。少なくとも私はそう感じます。だったら、なにかあったときのことを万全にする、それにコストは考えないのが本来の在り方ではないですか? 自治体にやってもらおうと思うことが、ペットと人を線引きし、家族として扱っていない証拠ではないかとも思うんです。

 

難しい問題かもしれませんが、問題をさらに難しくしているのは人間の「欺瞞」です。いい人に見られたいという虚栄心や、自分の懐は痛まないようにしたいという利己心、自分は誰より命のことを真剣に考えているという無知が、問題を肥大化させているように思います。

 

ペットに関しては、もっとスッキリさせられるはずです。

守れないなら、飼わない。

守るためには手間もコストも惜しまない。

これだけなんです。

人もペットもしあわせな形での避難というものができる日がくることを願っています。